1940年代からのSF小説や映画の影響で、多くの人々に、AI(人工知能)に関する大きな誤解があります。
AIは、釣瓶(つるべ)や電卓やグーグル検索のようなものだということを説明しようと思います。
◆人間と張り合うAI
1966年にアメリカでテレビ放送が開始され、今だ人気が高く、新作映画も作られる『スター・トレック』は、アメリカのみならず、著名人を含む世界中の人々に影響を与えています。
オバマ元米国大統領も『スター・トレック』のファンで、その世界観が好きだと表明しています。
この作品では、AIという呼称は使われなかったかもしれませんが、初期の頃から、人間のように思考するコンピューターが登場しました。
そんな思考するコンピューターを、とりあえず、ここではAIと呼びましょう。
『スター・トレック』では、優秀なAIが、重要な作戦においてカーク船長と全く異なる計画を提示し、AIは、自分が立てた計画は論理的にカーク船長のものより正しいと主張します。
そして物語は、「やっぱりAIはカーク船長より優れている」と思わせる展開となりますが、それは状況が想定内にある場合で、予期しなかったことが起こり、大ピンチに陥った時、カーク船長の、必ずしも論理的ではないけれども(それどころか非論理的とも思える)人間味ある決断が状況を打開し、カーク船長達は輝かしい勝利を掴みます。
このような物語を見て、人々は、AIについて、次のような観念を持つに至ったと思います。
(1)AIの知性は、いずれ、人間の知性を超える。
(2)しかし、AIが、いつも正しいとは限らない。
(3)そして、AIは、致命的な間違いを犯す危険がある。
ここには、「人間 vs AI(人間とAIのどちらが優るか)」の構図が見られ、これが人類のAI観になっているように思います。
◆AIは芸術家になれるか?
AIが描いた絵というものを見たことがあるかもしれません。
抽象的な、あるいは、シュール(超現実的)とでも言うしかないようなものが多いと思いますが、割と普通の絵もあります。
そして、「AI絵画は芸術的か」などといった議論が起こりましたし、今後も起こると思います。
また、電子音楽を得意とする有名な音楽家が「AIの作曲能力は既に人間以上」と語ったことがあります。
さらには、「AIに小説が書けるか?」という議論があり、実際にAIが書いた文章の例もあるようです。
そして、ここでも、「いずれ、AIが作る絵や音楽や小説は人間の作品を超えるのではないだろうか?」という考えがあり、やはり、「人間 vs AI」の構図があります。
◆発想の転換
先に結論を言いますと、「人間 vs AI」の対立構図は間違いであり、成立しません。
AIはあくまで、人間を助け、人間の能力を拡張するものです。
例えば、こんな感じです。
チェスで人間はもうAIに敵わないと言われています。
また、囲碁の世界王者がAIに負けたことが話題になったことがあります(現在はAIの圧勝だそうです)。
しかし、人間とAIが役割分担をして協力すれば、つまり、「人間+AIチーム」は、AI単独、人間単独より強いのです。
正しく言えば、AIが人間の棋士の能力を拡張すれば、その「人間の棋士」はAIより強くなるのです。
このように、人間とAIは協力するものであり、対立するものではありません。
◆インターネットはAI?
昔、司馬遼太郎は、大作の小説を書く際、トラック一杯の資料を集めたと言われていました。
それほどでなくても、昔の作家は、辞書や百科事典はもちろん、文献やその他の資料を苦労して集め、調べながら書きました。
しかし、現代の作家は、高度な資料は別にしても、多くのことでは、グーグル検索で調べれば用が足ります。
逆に言えば、今ならグーグル検索で簡単に調べられることを、昔の作家は、時には何日も、場合によっては何か月も調べて書いたのです。
このグーグル検索が、人間の能力を拡張するものと言えます。
ならば、グーグル検索はAIと言えるかもしれません。
これについて、次のような話があります。
テクノロジー雑誌WIRED創刊者のケヴィン・ケリーはTEDでの講演でこんなことを言っています。
「未来の人が、現在のAIを見たら、『これはAIじゃない。インターネットだ』と言うはずです」
昔の人から見れば、人間の能力を拡張するグーグル検索は、凄いAIなのです。
そして、さらに昔の人から見れば、計算で人間の能力を拡張する電卓だって、凄いAIです。
未来のAIは、人間の能力を拡張する度合いが、現在のグーグル検索に比べ、桁外れに大きいと言うだけです。
このように、AIとは、あくまで、「人間の能力を拡張する道具」なのです。
◆AIと協力する
AIが自発的に絵を描いたり、作曲したり、小説を書くことはありません。
「AIが作曲した」と言っている場合も、必ず、「人間がAIに作曲させた」のであるはずです。
そして、作家は、AIで能力を拡張すれば、より優れた小説を書くことが出来るようになります。
音楽も絵画も同様です。
人間だけで作曲したり、絵を描いたりするより、AIと協力してやった方が、優れた音楽や絵画が生まれます。
芸術、クリエイティブ分野に限りません。
人間の医者だけなら成功率30%の手術が、AIと協力することで成功率は90%になるかもしれません。
教師であれば、従来の勘と経験の教育では伸ばせなかった(逆に駄目にしていた)生徒の成績を上げ、才能を引き出し、生徒の未来を明るいものに出来るかもしれません。
製品やサービスの企画、マーケティングでも、人間だけでやっていた時より、AIと協力することで良い成果を出せるようになるはずです。
AI医師、AI教師、AIビジネスマンが人間の医師や教師やビジネスマンを駆逐するのではありません。
AIが人間の能力を拡張するとしても、それで、人間の自尊心が傷付くはずがありません。
あくまで、主は人間です。
2400年前の『荘子』に、こんな話があります。
苦労して井戸から水を汲み上げている老人に、孔子の弟子が「今はつるべ(釣瓶。滑車などを指す)という便利なものがあり、それを使えば楽に水を汲めます」と言うと、老人は「それでは労働の尊さが損なわれる」と言って怒ります。
この場合は、つるべがインターネットでありAIのようなものです。
しかし、つるべが水汲みを楽にしたからと言って、この老人の自尊心が傷付くなど、おかしなことであることが分かると思います。
つるべが勝手に水を汲んだりしません。あくまで、人間が水を汲む手伝いをするだけです。
そして、人間は、楽になった分、人間にしか出来ない能力を発揮すれば良いのです。
井戸の水汲みなど「つるべ」にまかせれば良く、当たり前の情報収集はグーグル検索にまかせれば良いのです。
足し算、掛け算は電卓にやらせれば良いようにです。
「AIが進歩すれば人間が失業する」などというのも嘘で、AIの協力を得て人間が行う仕事は高度なものになり、創造性を必要とする仕事が新しく生まれ、仕事はむしろ多くなると思います。
人間の役割は、現在よりも創造的なものになるのです。
また、「AIが間違った危険な判断をする」というのもおかしな話なのです。
AIは、あくまで、人間の判断を補助するだけで、決定するのは人間です。
ただし、インターネットもグーグル検索も、悪い使い方というのは確かにあり、そこには気を付けないといけません。
それが、高度なAIとなると尚更です。
AIが危険なのは、決して、AIが「自主的に」人類を征服したり、非人道的な決定をするからではありません。
しかし、人類を征服しようとする者や、自分の利益のために非人道的なことも避けようとしない者が悪用すれば、AIは非常に危険なものです。それほどの能力がありますし、さらに、どんどん強力になっていきます。
AIについて、我々が注意し、監視しなければならないのは、AIを使う人間、そして、その使い方なのです。
以上です。
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